2010年2月28日日曜日

雛祭り(1)

今日は、春の穏やかな日和となり、こんな日はじっとしていられなくなって、大分県の日田市の「ひな祭り」を見に行ってきました。
日田市は「天領日田」と言われるとおり、徳川時代幕府の直轄地「天領」に編入され、代官所の所在地として重要な地位を占めていました。当時は九州随一と言われるほど繁栄をもたらし、「小京都」と言われるほど京文化が発達していました。
今では、あちこちの町で「ひな祭り」を開催していますが、その発祥というのがここ「日田のひな祭り」です。
今日は、代々受け継がれてきた「お雛様」の一般公開を初めて行ったといわれる「草野家」に伺いました。


「草野家」の外観

草野家の祖先は12世紀中頃(1164年)草野三郎蔵人永経にはじまり、竹井城主であったとされています。その子永平は筑後国在国司、押領使に任ぜられ、以来16世紀末家清まで(1586年)福岡県久留米市草野町耳納山発心城城主として栄えましたが(今では発心城公園に整備され桜が綺麗です)、天正14年(1586年)豊臣秀吉の九州征伐の際龍造寺家とともに戦い、利あらず敗れ日田の草場に逃れ、帰農し、江戸幕藩体制になり寛永18年(1641年)豆田に入り、元禄元年(1688年)現在の処に屋敷を構え、現在に至っています。屋号は枡屋(ますや)、商標は田(かくじゅう)とさだめ、製蝋(ろうそくの製造販売)を生業とし京、大阪まで広く販売をしていました。


「帳場」


「中庭の様子」
この頃に、京へ行った際に、「雛人形」を買って持ち帰り、今のような数百体の雛人形が伝わっているものだそうです。蝋燭の販売は電気が引かれるまで続いて、その後は銀行のような金貸業で生計を建て財を成したということでした。
展示されているもので、最も古いものは、290年前の「享保雛」だそうで、今でも一番大事にされているとのことでした。
建物も古く、今では「平成21年10月国指定重要文化財」となっているようです。
館内は撮影禁止となっていたので、それに気づくまで撮った、二枚だけ紹介いたします。(決して知らないふりしてでは有りませんので・・・おことわりしておきます)

「草野家」では、今回の「ひな祭り」の他にも「端午の節句」「祇園際」「天領際」の時期に趣を変えた展示物を展示して公開しているようです。

2 件のコメント:

  1. 和尚です。
    お久しぶりです。
    それにしてもドンファン毛露ちゃんが辞めるとは、
    多感著さんの心中お察しします。
    良い子だったのに。
    去るものは日々に疎し。
    新しい人材を期待して頑張って下さい。
    当寺でも先月、一人の修行僧が去って行きました。
    残念ですが、仕方ないですね。南無。

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  2. 和尚様 久しぶりです。
    以前、現在の若者を「ゆとり族」から「さとり族」と呼ぶようになったと書きましたが、どうやらモロちゃんもその病気に掛ってしまったようです。
    物事が上手くいかないとき、「頑張る」よりも、「ここらが限界」と悟ってしまい、無理をせずに成功する道を探すんだそうです。
    それが、もっとも厳しい道だと思うんですが・・・

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