2010年6月9日水曜日

父のそれから⑤大往生

今朝、8時50分頃、享年80歳で大往生 永眠を迎えました。
今日は、予め会社には代休を申請していて、自己も病院に行かないといけないと考えてたんです。
しかし、昨日父の主治医と話した際に、今日の朝ごはんには私が付き添って食べさせてみようと相談してたので、8時前に病院に入りごはんを食べようと父を促し、起していました。

看護師さんから渡された熱いおしぼりをもらい、ちょっとだけ冷まして、顔を拭いてやると、少しだけ気持ちよさそうな表情になりました。
もう少し8時までは時間が有ってので、売店まで行き、好きだったヤクルトと、食事が入らないときに、少しだけ食べてくれた、「ウィダーin」を買ってもう一度病室に戻りました。
ちょうど良く、朝食が運ばれてきておわんを開けてみたのですが、固形状の物だったので、「これは無理だろう」と判断しましたが、少しだけ口に運んでやると、舌を回し食べる仕草をしてくれました。
しかし、それを飲み込む力は無いようでした。
看護師さんに頼んでいた楽飲みから、お茶を少しだけ口に注いでやると、飲もうとした瞬間、気管のほうに食べ物が入ったのか、「ゴロゴロ」と喉が詰まった状態となった。
看護師さんから、口を明けてと云われると、バキュームの管を看護師さんに入れてもらい、食べたものを吸い出してもらうと、少し楽になったようでした。
主治医の先生も、そばについておられ、「これ以上はやはり、口から物を摂るのは無理だろう」という判断で、これからは、昨日話したように、できる限りの対策を試していこうと話しました。


話も終わり、父の傍に腰掛5分もしただろうか。
「なにか?変な?呼吸状態になりました」
2・3回いつもどおり呼吸をしたかと思うと、ちょっと呼吸が止まり、「はっと」したかと思うともう一度呼吸をすう、そんなことを何度繰り返しただろうか?

「息をひきとる」 何故そういうのか?

 吸った息をいつ吐き出すことも無く、2度と「息を吸う」事はありませんでした。

傍を離れた。

後は看護師さん達が、慌ただしく、「先生を呼んで・・」「〇〇さん」声をひっきりなしに掛けるのがわかる。
邪魔にならないように、一度病室を出て、廊下に出た。
代わりに、走ってきた主治医の先生が中に入る。数分した後に看護師さんから中に入ってくださいと云われ、父に傍に着いた。
「手を握っておいてください」「現在脈拍が50を切りました、40を切ると生命の維持は不可能になります」
私は見るのをやめた。
父の顔の表情には、もう何も変化はありませんでした。握った手も動くことも有りませんでした。
ただ、背中のほうで、脈拍計だけが、ピッ、ピッツ と機械音を立てていた。
「とちゃん」声を掛けたかったが、今、何か声を出すとそれはいきなり嗚咽に繋がることは解っていた。
「気持ちの準備は出来ていた筈だ」自分にもう一度言い聞かせた。

「いま、心拍数が ゼロ になりました、確認してください」

今朝まで、ほんの10分前まで、115~130を示していた数値は 0 になっている。
波形が少しだけぶれているが、そう想った瞬間には、水平状態となった。

こうなった場合、心臓の再起動処置を取らない事は主治医の先生と充分に話していた。
その事を、もう一度先生から了解を求められ、私はそうお願いした。

看護師さんから、その後の説明を受け、一旦席を外し、必要な場所への連らくを取る事とした。

3 件のコメント:

  1. 教祖です。
    多感著さんこの度はご愁傷様です。
    どう声をかければいいのか・・・・・・・・
    どうコメントすればいいのか・・・・・・
    何も書けません
    ゴメン

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  2. 和尚です。お久し振りです。 今日、松下からメールが有り、Y取締役からの訃報連絡を聞きました。ブログを見て多感著さんが如何に頑張ってお父上を見守ってきたかを感じました。本当にご愁傷様でした。また、お父上との最後の意思伝達も充分に出来ていたのではないかと思い羨ましく感じました。人は最愛の人を失うと何故か尽くしたりなかったと後悔します。  でも、その気持ちがお父上への気持ちの現われで有ったかも知れません。気障な表現になってしまいましたが、多感著さんのお父上への気持ちがブログに良く現われていたと思います。 ご家族皆様で良くご供養して上げ下さい。

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  3. 教祖様、和尚様 コメント有難うございます。

    あのあと、とにかくばたばたしていました。
    親戚などが居る間は、なかなかブログを開くことさえできず、御礼を申し上げることも出来ませんでした。

    初七日が済んだら、いつもの生活(ブログ)に返ろうかと考えています。
    またよろしく、お願いいたします。

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