2010年6月25日金曜日

最近我が家で流行ってること

先週、娘とぶらりとレンタル屋さんに立ち寄り、ビデオをそれぞれ選んだのですが、なんと私が選んだのもホラーで、娘が選んだのもホラーっぽい映画でした。
親子って似るもんですね・・・

しかし選んでしまったのが、テレビドラマのような連続物で、最初2巻だけ借りたのですが、どんどん続きが見たくなって、毎日のようにDVDばっかり見てます。
はまっちゃうと抜けられなくなってしまう。
ところが、問題がひとつ・・・
私が出張だったり、みんなの帰りが違ったりで、もう見たものを後から帰ってきた娘や息子とに合わせて最初から見直したり・・・
返したいのに、見てないと言われれば、返せない・・・
そんなことが有り、今は全てPCにダビングしています。(本当はやっちゃいけないんでしょうが・・

2010年6月17日木曜日

梅雨に入りました

強い日差しに、花弁もところどころ焼けたようになっていたアジサイが、雨に打たれて元気を取り戻したようになっています。

周りの田んぼも麦が刈り取られ、すっかり水田に変わる準備が出来ていますし、もう3・4すると、用水路に一杯の水が流され、あっという間に田植えが済んだ光景に変わります。
毎年、こんなに広い田んぼに、いつの間に田植えが済んだんだろう?と、その変わり様に驚いています。

昨年は、暑い日が続き、毎日夏日で30度を超す日が、続いたんでした・・
すっかり、「地球は暑くなってるんだ~ 温暖化を防がないと!」と真剣に考えましたが(笑い
こうやって、梅雨時期に「梅雨」が訪れてくれると、なんか安心しますね。

この雨で、筑後川の水量も増えて、濁り水が入り込むと、ウナギ釣りの季節となります。

今週末は、天然ウナギでも食べて、元気を出しましょう。

2010年6月16日水曜日

今日から仕事に戻りました

事務所に着くと、見たこと無いほどの書類の束が机に重ねるほど、メールが届いてる。
午前中はこれらに目を通し、処理するのがいっぱい。
もちろん、私のいない間は、別の場所で色んな処理をしているから、顧客に迷惑を掛けることは無かったが、今日からはその全てを引き継がないといけない。
他人がやった仕事だからといって、私知りませんではどうにもならない。
何がどこまで進んでいるのか、どこへ連絡を入れないといけないか、把握できてない途中の仕事は、いつも以上に大変でした。

この忙しさが、しかし今は嬉しい。

明日は、相中から北九州で打ち合わせ・・

そういえば今週末は、教祖様と会える日でした。

 みんなどっか繰り出すんだろうな??~

でも、今回は、やっぱ自重しようかな・・・・・・・・・・・・・。

2010年6月13日日曜日

それから⑥終わりました

いろいろ、準備は進めていたつもりでした。
こんなときの為に、取り乱さぬよう、段取りを決めていました。

葬儀社、お寺などに連絡を取り、「お通夜」「告別式」と滞りなく済ませることが出来ました。
昨日は、お寺にお礼参りに出向き、今後の法要などについて確認してきました。

まだまだ、いろんなことを処理しないといけませんが、一応落ち着きました。

お通夜、告別式には沢山の弔問の方々がみえられ、えっ!と驚くような方もいらっしゃったり、電報については多くの取引先からも届き、びっくりしました。

しかし、どんなに段取りを決めていても、心の準備はしていたとしても、やはり、父の名前を口にすると、感情を抑えきれず、胸の熱くなる瞬間があるものですね。

父の一生とはなんだったんだろう?
昭和初期の生まれで、幼少期は戦時中、戦後を過ごし、田舎で高度成長はあまりに遠い存在で、苦労の連続だったんだとおもいます。
しかし、私の知らない父もあったんだろうとおもいます。
仕事に行っていたときの父や、友達との語らいは私の知るところではありません。
苦労話については、聞いたことは有りますが、なかなか楽しんだ事や、苦笑するようなことは教えてくれませんでしたからね。
今日は、部屋を片付けたり、明日は田舎へ行って役場の手続きなどを済ませようと考えています。


これから、初七日、四十九日、初盆と法要が続きますが、少しづつ思い出に変わっていくものでしょう。

2010年6月9日水曜日

父のそれから⑤大往生

今朝、8時50分頃、享年80歳で大往生 永眠を迎えました。
今日は、予め会社には代休を申請していて、自己も病院に行かないといけないと考えてたんです。
しかし、昨日父の主治医と話した際に、今日の朝ごはんには私が付き添って食べさせてみようと相談してたので、8時前に病院に入りごはんを食べようと父を促し、起していました。

看護師さんから渡された熱いおしぼりをもらい、ちょっとだけ冷まして、顔を拭いてやると、少しだけ気持ちよさそうな表情になりました。
もう少し8時までは時間が有ってので、売店まで行き、好きだったヤクルトと、食事が入らないときに、少しだけ食べてくれた、「ウィダーin」を買ってもう一度病室に戻りました。
ちょうど良く、朝食が運ばれてきておわんを開けてみたのですが、固形状の物だったので、「これは無理だろう」と判断しましたが、少しだけ口に運んでやると、舌を回し食べる仕草をしてくれました。
しかし、それを飲み込む力は無いようでした。
看護師さんに頼んでいた楽飲みから、お茶を少しだけ口に注いでやると、飲もうとした瞬間、気管のほうに食べ物が入ったのか、「ゴロゴロ」と喉が詰まった状態となった。
看護師さんから、口を明けてと云われると、バキュームの管を看護師さんに入れてもらい、食べたものを吸い出してもらうと、少し楽になったようでした。
主治医の先生も、そばについておられ、「これ以上はやはり、口から物を摂るのは無理だろう」という判断で、これからは、昨日話したように、できる限りの対策を試していこうと話しました。


話も終わり、父の傍に腰掛5分もしただろうか。
「なにか?変な?呼吸状態になりました」
2・3回いつもどおり呼吸をしたかと思うと、ちょっと呼吸が止まり、「はっと」したかと思うともう一度呼吸をすう、そんなことを何度繰り返しただろうか?

「息をひきとる」 何故そういうのか?

 吸った息をいつ吐き出すことも無く、2度と「息を吸う」事はありませんでした。

傍を離れた。

後は看護師さん達が、慌ただしく、「先生を呼んで・・」「〇〇さん」声をひっきりなしに掛けるのがわかる。
邪魔にならないように、一度病室を出て、廊下に出た。
代わりに、走ってきた主治医の先生が中に入る。数分した後に看護師さんから中に入ってくださいと云われ、父に傍に着いた。
「手を握っておいてください」「現在脈拍が50を切りました、40を切ると生命の維持は不可能になります」
私は見るのをやめた。
父の顔の表情には、もう何も変化はありませんでした。握った手も動くことも有りませんでした。
ただ、背中のほうで、脈拍計だけが、ピッ、ピッツ と機械音を立てていた。
「とちゃん」声を掛けたかったが、今、何か声を出すとそれはいきなり嗚咽に繋がることは解っていた。
「気持ちの準備は出来ていた筈だ」自分にもう一度言い聞かせた。

「いま、心拍数が ゼロ になりました、確認してください」

今朝まで、ほんの10分前まで、115~130を示していた数値は 0 になっている。
波形が少しだけぶれているが、そう想った瞬間には、水平状態となった。

こうなった場合、心臓の再起動処置を取らない事は主治医の先生と充分に話していた。
その事を、もう一度先生から了解を求められ、私はそうお願いした。

看護師さんから、その後の説明を受け、一旦席を外し、必要な場所への連らくを取る事とした。

2010年6月7日月曜日

父のそれから④転院

今日は「転院」しました。
朝から、状態はいい。 先週のようなけだるい様子はない。
もうすっかり、離乳食みたいになってしまった食事ですが、どうにか口に運ぶと時間をかけて飲み込んでくれる。
身の回りの荷物を片付け、準備を済ませた後、転院する病院に連絡を取り、予定時刻に救急車を呼び移動した。
この病院に来たときは、直ぐに退院できるような状態だった。
一週間もいたら、家に帰ろうといっていた。それが、5月の連休を境に状態が急変した。
それからは、良くなるどころか、急激に容態が良くなくなってきた。

病院には居るが、これといった治療は行われていない。
「このままでいいのか?」そういう疑問は有ったが、肝硬変(がん)肺がんの併発で、手術が出来るほどの体力も無い、年齢的にも不可能だということは解っている。
「苦痛が無く、療養を続けてもらいたい」そう考えていた。

「何が出来るか解らない」院長からはそういう話だったが、転院を進められたときには、少し安堵感も有った。
何かが変わりそうな気がしたのは間違いない。

新病棟に着き、集中治療室に入る。主治医の先生は最初に腹水で入院したときの担当医と同じ先生をお願いしていた。
「○○ さ~んもう一度ここに入院しましょうね」廊下で待っていた私にも聞こえてきた。
暫くして、処置室から先生が出てこられて、とにかく栄養が足りない、午後から栄養のある輸血を暫く続けることにしますと、説明があった。
「お任せいたします。宜しくお願いいたします」
そう、答えるしかなかった。
後は、事務的な手続きを済ませる為に、待合室で暫く待っているように言われ、待っていたが、現れたのは主治医の先生ではなく、看護師の女医の先生だった。
簡潔に事務的な手続きの話を済ませると、今の状態について決してよくないことをそれとなく伝えられることになった。
「これまで、病院にいらっしゃったんですよね?」
それは、不可思議な質問だった。
看護師さんが言いたいのは解った。今までの病院では十分な処置が行われていないと言いたかったのだ。
しかし、同じ業界としてあからさまにそうとは言えない。
それで、疑問符を付ける事で、こんなになるとは想像できないことを伝えようとしていたのだろう。
2月の末から3月初めの2週間程度でしたが、同じ部屋に入院していたのを、彼女も担当していたのか?、よく覚えていた。

しかし、転院した病院は救急外来も有り、どんな設備も、専門医も人でも揃っている総合病院だ。
これまでいた病院は、外来検診を主に行うような病院で、入院患者は療養を主な目的としている。

簡単には比較できない。
私はそれでも、これまで入院していた病院の看護師の皆さんには本当に世話になったと感謝している。
元気であれば、父は頑固で、口から物言うと卑下した言葉がどんどん飛び出す。
私は親子だから、なんと言われようが腹も立たない。笑って無視できるが、あかの他人が聞いたら、どんなに非常識人間だと想われるか解らないときがある。
それが「昔の人だからね~」そう、想って解ってくれるまでは、その看護師さんたちは相当に苦労したはずだ。
それが、十分に解る・・、 どうにか尽くしてくれたおかげで、私は仕事が続けられたのだ。


説明が一通り終わった後、

「いつでも、連絡が取れるようにしておいて下さい」・・・・・・・・・・

今日はその言葉が、とても重く感じられた。

父のそれから③一時の覚醒

先週から容態が決して良くない。
週末には元気を取り戻したように思えたが、体力は落ちるばかり・・
毎日、ぼ~っとして、こちらが言っているのが解るのか解らないのか?
そんな状態でしたが、なにやらボケを無くす薬というのがあるらしく、それを処方したことで、週末は元気を取り戻したようにみえていたんです。
「起こせ!」・・・久しぶりに口にした言葉でした。
もう、自分で起き上がる力など無い。膝をかろうじて伸ばしたり縮めたりするのがやっとです。
寝たきりになって約3週間くらいですが、寝返りを自分ですることも出来ない。
動かすと、床ずれがおきた皮膚が痛いのは解っていましたが、もう骨と皮だけになった細い足を持ち上げ、体を回しながらベッドの外に出し、ゆっくりと体を抱え上げ、ベッドの脇に座らせるようにした。
支えていないと、後ろにも前にも倒れこんでしまう。
腕は、だらんとたらしたままだったが、目はいつもよりしっかりしていた。
脇を支えていたが、どうにも不安定で、抱きかかえるようにしてみたが、それまでだらんとしていた手が、私の背中に回り、精一杯の力だろうか、私の体を抱きしめるようにしてきた。
そう長くは無かったと思うが、随分長く抱きしめられていたような気がする。
そのまま、疲れたのかゆっくりと手が下のおろされ、私の肩に、頭を乗せ掛けるようにしてきた。
耳元で父の息使いだけが聞こえてくる。
もうどれだけ苦しんだんだろうかとおもうと、まぶたが熱くなってしようがなかった。
そのままづっと父の息遣いを聞いていたかったが、不安定な体制での介助はそう長く耐えられなかった。
申し訳ないと想いながら、元のようにベッドにゆっくりと寝かせた。
動いた所為で、どこかすわりが悪いのか、顔に苦痛の表情が見られる。
父が喚いたり叫んだりすることはこれまでも見たとこがない。人一倍我慢強い。
それが解っているから、どれくらい痛いのか想像もつかない。

目には未だ力が残っている。話しかければ解る状態でした。
これまで、テレビは見ようとしなかったが、「テレビをみようか?」と声をかけてみた。
「うん」声にはならないが、一度まぶたを閉じ、開いた目は少し笑っているような気がした。

父は政治に話が好きだった。
元気なときは、「政治なんて親父がどう言おうと考えようと、どうしようもないんだから・・・」と、つっけんどんに受け答えしていた。
ちょうど今日は、首相が選ばれ、鳩山首相から管首相に代わった。
テレビでもその話題がもちきりでしたが、3ヶ月以上新聞もテレビも見ていない父にとっては、それが何故なのかわからないだろう。
しかし、昔みたいに繰り返し流れるニュース番組をいつまでも見入っていた。

番組が終わり、消灯の時刻が近づき、そろそろ休む事を薦め、
「明日、転院するよ」そう伝えた。

  もう、返事は無かった。

2010年6月2日水曜日

父のそれから②今後の治療について

今日は、病院の先生からの依頼で、病状説明を受けるために訪問してきました。
「できたら、一人ではなく、ご家族の方2名以上でお願いします」との事だったのでそれなりに覚悟をして伺いました。

病状については、日に日に悪くなって行っているのが解っている為、さほど驚くことはありませんでしたが、先生からの提案(相談)は、これからどう治療をしていくかについてでした。

現状は、食をとる事が出来ない状態が続いている。栄養が足りなく、脳やほかの臓器への悪影響、体力の限界が近い・・・
点滴をしたいが、もう体内に腹水が多く溜まっており、点滴が入らず、皮膚が破けて滲み出てきてしまう。

口から栄養を取るのが一番だが、飲み込む事が困難・・・・・・・

確かに様子を見ていて、食べるのが苦痛な状況であることは理解できる。食べ物は現在は殆どスープ状になっており、赤ちゃんの離乳食よりも柔らかい状態なんですが、スプーンで口に入れてやっても、飲み込むのに相当時間がかかってします状態です。
病院側でも、担当の看護婦をつけて、時間をかけて食事を与えてもらっていますが、それにも限界があるみたいでした。

そこで、大きな病院に転院して、胃に直接流動食を入れられるように管を通してみるのはどうかとのことでした。
他には、肩甲骨付近の大きな血管に、点滴を打つというものでしたが、病院側ではいずれの対応も、もし間違って管や、針が抜けた場合相当な出血や、事故につながるとして、命の危険も伴うことから、家族の同意なしでは、出来ないとのことでした。

「決断をしてください」

と言われましたが、どうしたものか非常に迷っています。
すぐ、そうしなければならない事は判っているのですが、父にとっては相当、現状以上に苦痛な状態になることとなります。そう考えると本人が受け入れられるか・・・

しかし、迷っている時間も無い為、一両日中に結論を出して、結果的にはそういう治療に切り替えることとなるかと考えます。

2010年5月31日月曜日

父のそれから①肝臓の役割とは何か

父の入院をお知らせしてから、もう少しで4ヶ月を迎えようとしています。
これまで、何とか過してきましたが、どうやらその覚悟をしないといけない時期が来たようです。

父が「肝硬変」だったことはお伝えしたかと思います。
「肝臓」は臓器の中でも非常に症状が出難い臓器で、症状が現れたときには末期になっていることが多いようです。お医者さんの間では「沈黙の臓器」といわれているようです。
あれから、肝硬変や肝臓がんについていろいろ読んでみました。
今の父の状況は、その全てが当てはまる、末期の症状といえます。
これから暫く、父の状況と、肝硬変いついて記憶をたどりに、残しておきたいと考え、書き残していきます。
重い話になるかと考えますが、正直に記していきたいと考えます。

最初は「肝臓」がどんなものか解ってほしいと思います。
皆さんが知っている「肝臓」とはなんでしょう?
そうです!
「レバー」ですね。新鮮なレバーにごま油をかけて、博多ねぎと一緒に食べると最高です。
「フォアグラ」もガチョウのレバーですね。こちらはあまり食したことが無いので、味については「おいしくない」としか書けない(笑い
ただ解るように、その様子からして、「肉」というような状態でないのは、肝細胞という特殊な細胞だからです。見た目は茶褐色をしています。
うん、食べたくなくなった?・・書いてる私もそうです(笑い
フォアグラはワザと肥大化させていますが、人の体の中の肝臓も、人間の身体の中で最も大きな臓器で、一般成人で約1.2キロ~1.5キロほどの重さがあります。
肝臓は、胃や腸のように筒型にはなっておらず、肝細胞が中にびっしり詰まっている状態です。
肝細胞の数は、実に2500億個以上あると言われています。
肝臓の働きは、大きく5つに分けられ、人間の身体にとって無くてはならない重要な役割を担っています。

1.エネルギーの貯蔵
食べたものなどから吸収した栄養分を、グリコーゲンという糖分に変えて、貯蔵します。

2.血液の貯蔵
肝臓内には全身の10分の1の血液が蓄えられていて、必要に応じて血管に戻されます。

3.解毒
アルコールや薬物などを身体に無害な物質に変えたり、細菌を殺したりして身体を守る働きがあります。また、腸で作られる有害なアンモニアやその他の有毒物質を解毒する働きもあります。

4.胆汁の分泌
胆汁とは食事中の脂肪の吸収を助ける消化液です。古くなった赤血球やコレステロールから胆汁を生成し、胆管に分泌します。

5.物質の合成
たんぱく質、脂肪分、ホルモン、ビタミン、など身体に必要な物質をたくさん合成しています。また、フィブリノーゲンなどの血を固める作用のある物質も生成しているので、肝臓が悪くなると血液が固まりにくくなります。

この様に「肝臓」は目立たないけど(胃薬とか腸だとか薬が有るけど、肝臓薬ってないでしょ)大事な仕事をしてるんですよ。
この機能の事は覚えておいてください。
肝臓が悪くなっていることに気づきやすくなります。

2010年5月30日日曜日

ぶらり、ぶらり・・

毎年計画しているぶらり旅に今年も、相変わらずの言いたい放題のメンバーが集まり、一日を過ごしてきました。
子供の高校時代の柔道部の保護者の集まりですが、今年で4年も続いてるんです。
今年は「呼子のイカが食べたい」という要望にこたえて、唐津、呼子を散策してきました。
集合場所は、ここ唐津城・
久々の再会で、駐車場で30分もついやした後、城内へ

唐津城は慶長13年(1608年)に完成した平山城です。城を築いた寺沢志摩守広高は豊臣秀吉の側近で、築城には名護屋城の解体資材を用いたと言われています。

比較的小さなお城ですが、岬の小高い岡に立てられ、見てると欲しくなったり、住んでみたくなったりさせられるお城です。

天守閣からは玄界灘と町中が見下ろせるようになっていて、ますます素晴らしいお城だと思いました。
遠くに見えるのは虹ノ松原です。
唐津はここだけにして、いざ呼子へ・・

おなかをすかせる為に、波戸岬へ行って、水中展望台へもぐってきました。水深7~10mなのにチヌがわんさと泳いでました。(釣り糸をたらしたくなるのは私だけではないでしょう)ますます、おなかがすいてきた。

波戸岬は、その名前から「ハート岬」・・「恋人の聖地」となっているようです。
「三十年前だったら・・・・」私たちも何か感じたかもしれませんが(笑い
おなかもすいたし、いざイカを求めて・・・
最初はマンボウに行ってみるが、行列がすごい・・これでは待ちきれず・・イカ道楽へ予定変更・・しかしここも駐車場がいっぱい。
ここから先は誰も行ったことがなかったが、信号待ちで配っていたサービス券を頼りに島の名前をとった「かべしま」というところへ・・
ここも随分込んでましたが、もう移動する気力も無く待つこと、15分、やっとイカに巡り合えた。

これに、ご飯と吸い物、デザートがついて2960円・・少々高いが、イカは一人に1杯(大小は有る)で、満足できるものでした。

げそは天婦羅に、そしてサービス券は、イカのくし天に変わりました(笑い

食後は、風の見える丘公園へ行ってきました。ここも見晴らしの良い場所です。

加部島に渡ってきた、呼子大橋です。

心配していた天候にも恵まれここで解散。

お土産には、イカと、タイの一夜干し、練り物天婦羅の詰め合わせ、そしてイカの塩辛3点セット、最後に特産「にんにく」を加えて、酒の肴は揃ったし、今夜はこれで1杯が楽しみです。

2010年5月25日火曜日

うれし~ね^^

今日、ある顧客から、10年ほど前に売った商品の使い道が解らないからもう一度教えて欲しいと連絡があって、夕方から訪問してきた。
最初は、どうして今更?(余計な仕事と思ったが・・・・)
以前、伺った時は、ともし火も消えそうな悲惨な受注状況だったし、社長も士気を失ったかに思えていた。
ところが、今日はPM7時だったが、工場は元気に稼動していた。
社長も張り切って、工場に残って頑張っていた。(うらやましい気がした)

機械の使い道が解らなかったのは、一時期の受注減から、従業員を囲い込み出来なかったことから、使っていた担当者がいなくなったことが原因だった。
当時としては仕方ないことでした。
今回うかがってみたら、私の知らない新しい若い従業員の方が、5名残って、私の到着を待っていた。

皆んな、疲れた様子も無く、興味を持って私の説明を聞いてくれたし、隣で社長は「必要なものは全てそろえてくれ」と自信を持って声をかけてくれた。

(特に必要なものが無かったのは残念だが・・^^+)

作業が終わった後、無駄話をしたが「儲かってはいない、3割引でどんどんとってるから、貧乏暇無しだ##」ということでしたが、以前の暗さは無い。
それよりも、うちのほうが大変な状況だと話すと、「頑張れ」と・・・・・

少しずつ、世間は良くなっている。厳しかった顧客が元気になることがこんなに勇気をもらえるとは、うれしいことです。

2010年5月22日土曜日

鹿児島よかとこ・・

ふぅ~
展示会、1日目が終わりました。
飲みは2日目クリア・・・というかんじですかね~

きょうは、教祖様が見えられてたみたいで、、、、、どうしたんですか??

そのまま帰られたのでしょうか?それとも昨日から出没されてたのでしょうか?
それにしても、、マメですね~ わしには出来ない。

でも鹿児島の元気さにはほっとしました。
先週宮崎行ったときには、なんとなく寂しい飲み屋街でしたが、さすがに天文館は賑やかです。
雨がしとしと降ってはいましたが、人通りはずいぶん出て増した。

昨夜に続き今夜も、いい気分ですが、これ以上は”やめとこと”まだ理性が働いてくれたおかげで、ブログの更新しています。

明日のために、今夜はこれくらいで・・・
いや、仕事ではなくて、明日の夜のために・・・笑い

そういえば、鹿児島で4日4晩飲み明かしたことが有りましたね。なつかしいな~
ONさんはどっかと遠くのホテルみたいだし、KTさんも人が変わり連れないし・・教祖さんとこも参加してないし、ohさんはYの接待に忙しそうだし・・

時代は変わりましたね・・

もちろんこれまでも、いろんんな節目を越えてきたんですが、あまりに印象深い鹿児島でしたので、ふと想い返したりしています。

天文館よ、明日もがんばれ

2010年5月20日木曜日

初めての経験

昨日、大分出張から直帰しようと、いつもと違う道を帰っていたら、町内に出来たスポーツジムに明かりがついているのが見えて、どんなものか立ち寄ってみました。
出来たばっかりだから、まず キレイ・・・

一通り、案内してもらった後、どうしても利用してみたくなった

で、今日、ちょっと早めに会社を出て、早速行ってきました。
ルームランナーとかストレッチ器具が有るが、どれもテレビなんかで見たことは有るが、触るの初めて、どうやって使えばいいのか解らない。
インストラクターの方に付き添ってもらいながら、使い方を教えてもらいました。

先ずは、自転車漕ぎ・・うん、これは出来る・・しかし、20分ともなると、飽きと疲れで後半はへとへと・・
休むまもなく、錘を引き上げたり、押し上げたり・・・何種類かやってると、もう手足がガクガク・・

意外と疲れるものです。

明日からはまた、出張なので続けては通うことは出来ませんが、ここは使用料が、1回-2時間で200円、回数券を買うと11回で2000円・・
私みたいに、たまにしか利用できない者にとっては、会員制よりもいいかな~

明日から3日間また暴飲暴食の日々が続く・・・今日の200円は無駄だったかな~

2010年5月11日火曜日

出張疲れた~

大分の佐伯~延岡~宮崎泊まり~熊本~有明 とぐるっと九州半周してきました。
延岡に行ったら絶対生きたいと思っていたのが、ここ↓ たつやさん。

ラーメン屋さんですが、旨い事勿論ですが、以前から紹介したいことが・・・
しかし、その前に 限定ラーメンを紹介します。これ↓


「頭倒太面」(とうとうふとめん)
気になったので早速戴いてみました。スープは醤油ベースのとんこつスープで、魚粉がこれでもかというくらい入ってる。臭いがちょっと気になるが、食べたら癖になるくらいおいしい。
でも、このネーミングはなんだ?どういう意味なのか聞いてみると
「苦労してやっと出来た」ということから「とうとうできた」と思ったそうなのです。
そこで、「とうとう」を調べたら漢字では「頭倒」と書くことが解ったそうで、面も独特な太麺。
これはそのままか・・いや麺ではなく(面)??これは聞かなかった。

いやいや紹介したかったのはそういうことじゃなかった。
実は、以前いったときにこれが写したいと思ってたんで、大将に写していいかと聞いたら、快くOKしてくれたので、お客さんがいなくなるのを待って、撮影してきました。

店中に展示してある フィギアのすごいこと・・


まだまだ
ウルトラマンだけどもこんなに揃ってる。


世の中に、ガチャポンが出だした頃、集めだし、10年余り続けたらこんなになったそうだ。
10年位前には止めてしまったそうだが、それでも懐かしい物がいっぱいです。
見るだけでも一見の価値ありです。

未だ行ってなかったらどうぞ寄ってみてください。
場所はここです。

よし寿司と横山アパートの間の建物です。

2010年5月9日日曜日

連休の報告で~す

随分ご無沙汰です。
ちょっと遅れた「連休」の報告です。
といっても、ほとんどごろごろしてたんですけどね。
気分転換に大分県の杵築市でやっていた「お城祭り」にいってきました。

伝統的な参勤交代の大名行列が見られましたよ。
でも、皆んな疲れた様子が・・・(笑い

どこにいてもかわいい子には目がいくんですよね・・
しかし、どうやら中学生らしい(笑い

火縄銃の実演もやってました。これは迫力有りました。

黄門様もちゃんといらっしゃいました。


 明日からまた大分~宮崎にドライブがてら仕事行ってきま~す。

2010年4月24日土曜日

トレッキングって何を実行

何かまた新しい言葉を覚えました。
「トレッキング」・・どうやら 「歩く」ことには間違いなさそうですが、ウォーキング、ハイキング、ピクニック、散歩、登山などとどこが違うんだ??
それにしても、言葉選びが大変だ・・(笑い
「散歩」が一番近くて、ご近所を回ってる感じで、
「ウォーキング」はもうちょい遠くて、早足で、スポーツを意識してるかな
「ピクニック」は昼食挟んで、弁当食べないとピクニックじゃないよね、まっ遊びだよね
「ハイキング」は平地じゃなくてちょっと坂道も含めて・・歩こうよって感じで
その後が言葉が無かった。
いきなり「登山」というと、まさか里山に登って「登山」して来たは無いでしょって感じで・・
そこで生まれたのが「トレッキング」なのかな?
登山はどちらかというと、山頂に立つことで、そこには木々が無いのが当たり前って感じでしょ
ところが最近流行りなのが、軽装で勿論日帰りで、遊歩道が整備された自然林を歩くことなんですよね
ちょっと昔はハイキングの範疇だったんでしょうが、もうちょっと「疲れる」から同じにしてはほしくない
そこで生まれたのが「トレッキング」なんでしょうね。
で、早速地元の「高良山」のトレッキングコースを調べて山頂まで歩いてきました。
山頂の自然公園は今頃久留米つつじの見ごろ間違いなし、いつもは車で行くところなんですが、今日は朝から準備して歩いてみました。
だいたい、麓から1時間のコースです。山頂は312m。
歩き始めて直ぐ山菜を取りのご夫婦にご挨拶、ところが、この先行き止まりと教えられて、また降りて登りなおし(笑い
歩いてると、3人組のおばちゃんにあっさり先を越され、写真を撮ってるのが趣味でと、疲れてるのをごまかし、自分のペースで一歩一歩先を目指しました。
途中で見つけた「人面木」
一時間ほどで「つつじ公園」に到着、ここまでは殆ど周りが見えず、ひたすら坂道を登るって感じでした。
ここまで来ると、頂上は目の前ですが、ちょっとだけ公園を散歩して、





写真を撮った後、遊歩道を歩いて山頂の裏側に回り、いざ「山頂」を目指し・・・・・・・・・・・・
ところが、この後数百メートルの階段がしんどかった・・・・・・・


このときほど「杖」は必要だと、いや「欲しい」と思った瞬間は無かった。
階段を登るたびに、膝に、太ももに手をおき、一段一段・・・・


やっと、山頂到達です。


山頂では「またたび」とは番うか「猟師」の方と知り合い「いのしし」を追っている話でご挨拶、さわやかな風が冷たく感じられるようになって、気になっていた菖蒲池を目指すことにしました。
下りは、登りより笑いたくなった。膝がなんとなく「異常」を訴えているのです。無理をしたらいけないなと感がえつつ、、右へ左へ蛇行しながら階段を下り、山頂の上り口までたどり着く。
そこらは、歩道を横に移動し、目的の池の沢に着くと、後は元の公園に向けて一登り。
池には、おたまじゃくしが沢山孵っていましたよ。
後は、公園をもう一周して、いざ下山、麓に到着したのはちょうど1時でした。

2010年4月22日木曜日

福岡ドームへ


ソフトバンクー埼玉西部戦を
ひっさし振りに観戦に行ってきました。
今日は「コカコーラシート」でした。
小久保が目の前で見れると楽しみにしてたんですが、
ちょっとライト側で背中ばっかし眺めていました。

初回の表が終わるころに球状に入ったんですが、スコアボードを見るなり唖然
なんと、和田が3点も取られているではないですか・・・
それでも、裏には2点を返し、和田も2回からは安定したピッチングで、「これはいける」
そう思っているとまた、4点も勝ち越しされ6-2・・・あわわ・・
「もうだめか」そう思ってると、ホームランを含め4点取って同点・・・
さあ、これからだ・・・・・・・・・・・・・・

しかし、2アウトからまさかの和田交代??? えっここで??
代わった藤岡は出てくるなり暴投で押し出し・・・見てられない。

7回が終了した時点で、家路につきました。

 でも久しぶりに、ゆっくりと野球を観戦しました。
試合には負けてしまいましたけど、気分はリフレッシュできました。

 今度は、30日にもう一回いってこようかと思いますが、
月末にいけるかどうかは、明日にかかってますけどね(笑い

2010年4月18日日曜日

ドライブしてきました





今日は久しぶりにドライブに出かけてきました。
朝からどこに行こうかとPCを覗いていたら、この季節「シャクナゲ」がみどころということで探してみたら、大分県の上津江村に日本一のシャクナゲ園がある事が解りました。近くの菊池渓谷に昨秋訪れたときに新緑のときにもう一度いってみたいと思っていたので、ちょうどいい機会と考えて出かけてきました。

新緑もシャクナゲもちょっと早いようでしたが、久しぶりのドライブでいい気分転換となりました。

途中、昼食に立ち寄ったドライブインが最高でした
「山菜のバイキング定食」を頼んだのですが、山菜の料理が20種類くらいあり、あれもこれもと少しづつ取っても、お皿がいっぱいになってしまう。
合わせて、お漬物も10種類くらい揃っていて、ご飯は炊き込みご飯、白ご飯、カレーが選べる。他にも、おでんや、ホルモンの味噌煮込みやらが食べ放題・・・・
これだけ食べたら、もう腹いっぱいだと思ってたら、豚汁と最後にぜんざいまで出てきた。
これだけ食べて、なんと 750円~~~信じられん、、、もう~食べられません。
 
  おばちゃん 少しだけ残しちゃって ゴメンナサイ!
 

2010年4月15日木曜日

久しぶりの投稿です

今月は、展示会が2回もあり、年度初めと重なり、何かと忙しい毎日を送っています。
今月だけで、佐賀~長崎、熊本~延岡~宮崎、長崎~佐世保 明日は北九州へ訪問しますので
鹿児島を除いてぐるっと九州を回ったことになります。

どこでも、「少しづつ景気回復」の話が聞けるようになり、期待が持てるようになりましたね。

しかし体は ガクガクです。

先日から、喉の調子が悪く、美声が潰れてしまっています。
ある、客先から病院に行くことを進められ、今日は「喉がおかしい」といってた先輩が
実は「喉頭がん」で、解ったときには余命半年だった***なんて話を聞かされてしまいました。

来週は、どうにでも休みを取って検診に行かなければ・・・

それでも、延岡でも長崎でもおいしいお酒をいただいてきました。(笑い
「もしかすると 酒が原因だったりして・・・」

教祖様が博多にも出てこられないんで「どうしたの?」と考えていましたら
和尚さんと大阪で一緒だったなんてうらやましいですね~

北九州ではY善の支社長のたっての依頼ということで、どうやら和尚さんご来福となりそうですね。
そしたらまた、元気の要素を分けて頂きたいものです。
宜しくお願いいたします。

2010年4月7日水曜日

おつかれさまでした~

週末から、今日まで出張続きで、ホントくたくたで~す。

先週は、新任和尚様には大変お世話になりました。m(_ _)m
金曜日から、最終日まで殆ど一緒に行動してました。
それにしても、村の木寺の和尚様方は、どなた様もお酒が強くて、
アフターファイブの元気さには、頭が下がります。
すっかり、こちらは二日酔いでダウンしていました・・・・・・・・・

今回のメーカー会では、O川さんの送別会も兼ねてということも有り
50人以上の参加がありました。
懐かしい顔ぶれも有るかと思いますので、こちらを覗いてみてください。

昨日今日は続けて、熊本~延岡~宮崎と久しぶりにぐるっとしてきました。
殆どドライブみたいなものですが、いい仕事も戴き、今夜はちょっとだけ
気分が楽になっています。

さて今週末はまた、福岡でのお集まりとなりますが、どうやら金末は
ご住職様とご一緒することが出来そうになくなってしまいました。

 う~~やすみた~~い

   帰休がうらやまし~~~^^;)