2010年6月7日月曜日

父のそれから③一時の覚醒

先週から容態が決して良くない。
週末には元気を取り戻したように思えたが、体力は落ちるばかり・・
毎日、ぼ~っとして、こちらが言っているのが解るのか解らないのか?
そんな状態でしたが、なにやらボケを無くす薬というのがあるらしく、それを処方したことで、週末は元気を取り戻したようにみえていたんです。
「起こせ!」・・・久しぶりに口にした言葉でした。
もう、自分で起き上がる力など無い。膝をかろうじて伸ばしたり縮めたりするのがやっとです。
寝たきりになって約3週間くらいですが、寝返りを自分ですることも出来ない。
動かすと、床ずれがおきた皮膚が痛いのは解っていましたが、もう骨と皮だけになった細い足を持ち上げ、体を回しながらベッドの外に出し、ゆっくりと体を抱え上げ、ベッドの脇に座らせるようにした。
支えていないと、後ろにも前にも倒れこんでしまう。
腕は、だらんとたらしたままだったが、目はいつもよりしっかりしていた。
脇を支えていたが、どうにも不安定で、抱きかかえるようにしてみたが、それまでだらんとしていた手が、私の背中に回り、精一杯の力だろうか、私の体を抱きしめるようにしてきた。
そう長くは無かったと思うが、随分長く抱きしめられていたような気がする。
そのまま、疲れたのかゆっくりと手が下のおろされ、私の肩に、頭を乗せ掛けるようにしてきた。
耳元で父の息使いだけが聞こえてくる。
もうどれだけ苦しんだんだろうかとおもうと、まぶたが熱くなってしようがなかった。
そのままづっと父の息遣いを聞いていたかったが、不安定な体制での介助はそう長く耐えられなかった。
申し訳ないと想いながら、元のようにベッドにゆっくりと寝かせた。
動いた所為で、どこかすわりが悪いのか、顔に苦痛の表情が見られる。
父が喚いたり叫んだりすることはこれまでも見たとこがない。人一倍我慢強い。
それが解っているから、どれくらい痛いのか想像もつかない。

目には未だ力が残っている。話しかければ解る状態でした。
これまで、テレビは見ようとしなかったが、「テレビをみようか?」と声をかけてみた。
「うん」声にはならないが、一度まぶたを閉じ、開いた目は少し笑っているような気がした。

父は政治に話が好きだった。
元気なときは、「政治なんて親父がどう言おうと考えようと、どうしようもないんだから・・・」と、つっけんどんに受け答えしていた。
ちょうど今日は、首相が選ばれ、鳩山首相から管首相に代わった。
テレビでもその話題がもちきりでしたが、3ヶ月以上新聞もテレビも見ていない父にとっては、それが何故なのかわからないだろう。
しかし、昔みたいに繰り返し流れるニュース番組をいつまでも見入っていた。

番組が終わり、消灯の時刻が近づき、そろそろ休む事を薦め、
「明日、転院するよ」そう伝えた。

  もう、返事は無かった。

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