一週間ほど前に孫を連れて帰省したばかり
いつもと変わらず、孫を抱いて笑っていた姿が印象に残っています
なのに、一週間後胸に違和感を覚えて救急入院したと聞いたのが3月20日
土曜日だったので検査は月曜になってからという判断だったようですが
月曜になって診断した時は、とても検査できるような状態ではないという
信じられない判断だったようです。
その日の夜には、容体が危篤へと急変したと連絡があり帰省
病院に着いた時には、危篤状態から安定した心拍と呼吸になったということで
コロナ禍でもあり、病院に集まっているのも避けてほしいとの
病院側の判断もあり、一度帰宅することにして、寝具に入った途端!
携帯がまた鳴り響いた
また、心臓が一瞬止まったと連絡が入り、急遽また病院へ
しかし、その時は人口呼吸器で肺は動いていましたが心拍に回復の兆しなく
みんなが揃うのを待って呼吸器を外した5時5分が臨終の時刻となりました
つい先週まで・・・いや もっと近くにいた父にとっては
ついさっきまで、そこに座っていた母が、まさかの変わりように
とても現実は受け入れられないと思います。
火葬場の桜は満開でした
花が大好きだった母が庭に咲かせた花々が今日も元気に咲き誇っていました
今朝、義理のおかぁさんが亡くなりました。妻と交際してる時も、怖いお父さんから庇ってくれたり、妻は18歳の時に産まれて来たらしく、お母さんと言うより、お姉さんみたいな感じの気さくなお母さん、料理が得意でいつもテーブルの上は箸の置き場も無いくらい料理が並んでた。お正月に出る、しただこや、あま〜い煮豆は、それを食べないと新年が明けた気がしなかった。
製材所で元気に働いていた時期は昼飯に自宅に帰って食べてたので、私も仕事途中に立ち寄りご相伴に預かったものでした、そして定年後に始めたゲートボールは、棚を埋め尽くす程に盾やトロフィーが並ぶ腕前だった。帰省して自慢話を聞くのが、楽しみのひとつになっていた。
近年は足腰が弱くなっていて、再起を期して、腰の手術を受けたのだが、それが禍をもたらしたのか、痛みが激しくなりコタツの側にいる事が多くなっていました。先週末もひ孫を連れて帰省しましたが、いつもと変わらず笑顔を振りまいていたのに、救急搬送されたと聞いたのは2日前!まさかの事態に、未だ妻も、姉妹達も、義父さんも慌ただしくしてるだけで、落ち着く暇もない。
だが、数日すると忘れたくない思い出探しが始まる。
思い出してあげる事が何よりの供養だと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿