震災が発生した当時は、
「バイクで南阿蘇に遊びに行くなんて・・・・」気分悪いだろう・・
という、意見も聞かれましたが、時間がたつにつれて
「観光客がいないと、商売が成り立たない・・」といった意見もちらほら出てくるようになった。
確かに震災当時は、余震も多く、道路の状況も解らない為に行くのを躊躇してましたが
最近通行止め路線の情報も出てきて、いくつかの目的地が出来たので、
思い切ってキャンプと星空撮影も兼ねて、欲張りツーに出かけてきました。
最初に訪問したかったのは、玖珠町の「金太郎」さん・・kiyomakoさんお元気だろうか?
そんな不安も有ったのですが、お店に入ると、客席は一杯で暫く待つ状態。
「なんだ、心配する事も無かった」と思いながら、こちらの方が嬉しい気持ちになりました。
今回戴いたのは、「チキンカツ定食」意外と初めてかも・・
カツが何個入ってたんだろう? もう、食べきれん位の量が入ってた
とり天、チキン南蛮も定番でいいですが、カツも最高です。
これ余談ですが・・・玖珠町が「神話の里」と言われるの知ってますか?
玖珠町の神話って何?有名な昔話有ったっけ?
高速から見える「鬼のモチーフは何? 金太郎の鬼?
意外と聞けない 疑問だったんですが、金太郎へ行くまでに
15分程時間を潰そうと、玖珠町立の「わらべの館」へ寄ってみました
1階はどうやら図書館の様でしたが、2階で展示をやってるというので
「清田コレクション」の郷土玩具の展示を見てきました。
清田コレクションとしては1000点以上展示されているそうで
九州の県別とか、動くおもちゃとかわらで作ったおもちゃとか分けて有り
なかなか、面白く拝見させて頂きました。
その後、館長さんの奨めで「久留島武彦」展を覘いてきましたが
この方が玖珠の「童話の里」の所以で有る事が解りました
久留島氏はもともと玖珠の(森)の藩主の息子として生まれましたが
当主を継がず、日清戦争兵役をへて様々な業績を残されてます
①いくつもの童話を書いて、口演童和会を開催
②日本で初めて、幼稚園を開設した
③日本で初めてボーイスカウトを結成した
④その他、絵画や書においても優れた才能を残しておられます。
①の意味で 玖珠町が「童話の里」な訳だったんです
しかし、私がいちばん驚いたのは
「継続は力なり」
と説いたのが、久留島武雄氏だったそうなんです。
サラリーマンなら一度は聞いた事が有るでしょうが
てっきりどこかの経営者が唱えたののだろうと考えてました
余談ばかりが長くなってしまいました。
つづく
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